黎明を築く

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明治初期、銀座の西に新橋-横浜間を結ぶ「新橋停車場」が開業
東に、東京で唯一の外国〝築地居留地〟があった。
欧米の文化や人材、技術は、「築地」をひとつの玄関口にして東京に流れ込み、やがて銀座も、煉瓦造りの街並と相まってモダンで華やかな都市文化を纏った。

古地図概念図

当時、「築地」に屋敷を構えていた大隈重信公のもとには、渋沢栄一、井上馨、前島密等の若手官僚が集い、世間からは〝築地梁山泊〟と呼ばれていた。
銀座煉瓦街構想も、彼らにより発案され実行に移された。※1

また、築地界隈には、立教大学、青山学院、明治学院、女子学院、雙葉学園等ミッション系私塾が次々と開学された。
慶応義塾の前身、蘭學塾もこの地を発祥としている。

「築地」は、江戸以来の和の文化と西欧の文化が、出合い融合した場所。
銀座にある洗練やモダンも、その発祥がこの地にあったという。
常に、新たな世界を深々と呼吸し続け、そして今なお、次の時代へと、黎明を告げる地であり続ける街。東京都中央区築地。

※1:出典:筑摩書房刊「近代日本の洋風建築」藤森照信著

※黎明(れいめい)/夜明け。明け方。物事が盛んに始まろうとする時。新しい時代や運動・文化などが始まろうとする時。

※掲載の写真はイメージです。※掲載の古地図概念図は歴史資料・地図をもとに描き起こしたもので、実際とは異なります。

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