居留地通り:徒歩7分/約560m

カトリック築地教会:徒歩7分/約500m

「築地」は、日本の文化と西欧の文化が、東京ではじめて出合った場所※1<。

「築地」は、日本の文化と西欧の文化が、東京ではじめて出合った場所※1

江戸末期、欧米との通商条約締結とともに、築地に〝外国人居留地〟が開設されました。以来、明治維新を経てこの地は、欧米の文化、人材、産業技術等流入の玄関口として、大きな役割を果たすこととなりました。

江戸末期、欧米との通商条約締結とともに、築地に〝外国人居留地〟が開設されました。以来、明治維新を経てこの地は、欧米の文化、人材、産業技術等流入の玄関口として、大きな役割を果たすこととなりました。

芳藤画「東京築地ホテル館之図」

安藤広重画「東京築地ホテル館」

参謀本部陸軍部測量局1/5000実測図(明治17年測量)

アメリカ公使館モニュメント(徒歩4分/約320m)

築地外国人居留地にあった外国公館

【 公使館 】
アメリカ・ペルー・オーストリア・ハンガリー・フランス・朝鮮国・スペイン・アルゼンチン・スウェーデン・ブラジル
【 領事館 】
イギリス・オランダ・ポルトガル・アメリカ・北ドイツ連邦・スペイン・ペルー・スイス・チリ

出典:冬青社刊「東京築地居留地百話」清水正雄書

首都東京の都市文化を形づくった2つの〝外国人居留地〟築地と横浜

首都東京の都市文化を形づくった2つの〝外国人居留地〟築地と横浜

当時、関東圏で〝外国人居留地〟が開設されたのは、築地と横浜。2つの居留地は、首都東京と横浜、それぞれの都市文化形成に大きな役割を担いました。また、海外交易のための商社進出が中心であった横浜に対して、築地は、都心至近もあり、外交を主とした各国政府出先機関が中心という特徴がありました。※2

当時、関東圏で〝外国人居留地〟が開設されたのは、築地と横浜。2つの居留地は、首都東京と横浜、それぞれの都市文化形成に大きな役割を担いました。また、海外交易のための商社進出が中心であった横浜に対して、築地は、都心至近もあり、外交を主とした各国政府出先機関が中心という特徴がありました。※2

築地居留地 海岸通り(写真提供:中央区立京橋図書館)

当時、学園都市のようでもあった〝築地居留地〟

当時、学園都市のようでもあった〝築地居留地〟

布教活動のため、〝築地外国人居留地〟に派遣された宣教師等によって、
立教大学、青山学院をはじめ、明治学院、女子学院、雙葉学園等ミッション系の教育施設が次々と開学。まるで学園都市のようでもあり、また数多の人材を輩出しました。慶応義塾の前身、蘭學塾もこの地を発祥としています。

布教活動のため、〝築地外国人居留地〟に派遣された宣教師等によって、 立教大学、青山学院をはじめ、明治学院、女子聖学院、女子学院、雙葉学園等ミッション系の教育施設が次々と開学。まるで学園都市のようでもあり、また数多の人材を輩出しました。慶応義塾の前身、蘭學塾もこの地を発祥としています。

  • 築地居留地時代の立教大学(写真提供:中央区立京橋図書館)

  • 立教学院 明石町(写真提供:中央区立京橋図書館)

  • 雙葉学園発祥の地住所:明石町1-7(佃大橋西交差点付近)(徒歩7分/約520m)

  • 女子学院発祥の地住所:明石町10(聖路加看護大学構内)(徒歩4分/約270m)

  • 慶應義塾発祥の地(徒歩4分/約320m)

  • 明治学院発祥の地(徒歩8分/約590m)

※1:明治時代、東京に唯一〝外国人居留地〟(外国の街)があったという事実を踏まえての表現です。

※2:出典:中央区企画部広報課発行「中央区区内散歩史跡と歴史を尋ねて(第五集)」

※掲載の写真は平成29年3月・4月に撮影したものです。※徒歩分数は現地からの距離を1分80mで算出したものです(端数切上げ)。

※掲載の情報は平成29年4月現在のものです。

※掲載の古地図概念図は歴史資料・地図をもとに描き起こしたもので、実際とは異なります。

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